大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和39年(ワ)6834号 判決 1966年5月14日

原告

石橋久枝

原告

石橋博

右法定代理人親権者母

石橋久枝

右両名訴訟代理人

世古晴次

被告

恭子こと

小幡静子

小幡静子

右訴訟代理人

下光軍二

右訴訟復代理人

上田幸夫

被告

渋谷悟

主文

1  被告らは各自原告石橋久枝に対し金二、六一三、二一〇円原告石橋博に対して金三〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三九年八月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らのその余を原告らの負担とする。

4  この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら訴訟代理人は「1被告らは各自原告石橋久枝に対し金五、四七四、八五五円、原告石橋博に対し金五〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三九年八月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および第一項につき仮執行の宣言を求めた。

二、被告小幡静子訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

三、被告渋谷悟は本件口頭弁論期日に出頭しなかつたが、その陳述したものとみなされた答弁書には「原告らの請求を棄却する。」との判決を求める趣旨の記載がある。

第二、原告らの請求原因

一、(事故の発生)

昭和三八年一〇月一〇日午前零時ころ、被告渋谷はマーキユリー五五年型普通乗用自動車三す五七八五号(以下単に被告車という)を運転し東京都新宿区角筈一丁目一番地先甲州街道を御苑通り方面から府中方面に向けて進行中、通路を横断歩行中の訴外岩本こと李点金に被告車を衝突させ、よつて同日午後一〇時ころ同人を死亡させるに至つた。

二、(被告渋谷の責任)<省略>

三、(被告小幡の責任)

被告小幡は本件事故当時被告車の所有者であり、もしくはこれを娘の訴外小幡瑞枝と共有していた。仮に同女が単独の所有者であると認められるとしても被告小幡は瑞枝から被告車を使用する権限を与えられていたものである。従つて被告小幡は被告車を自己のため運行の用に供する者であつた。よつて被告小幡は自動車損害賠償保障法第三条により被告車の運行によつて生じた第一項記載の事故にもとづく後記損害を賠償しなければならない。後に同被告が被告車の運行供用者にあたるとは認められないとしても、事故当時被告車を運転していた被告渋谷は被告小幡の服装デザイナーの営業に見習兼雑役として勤務し、自動車掃除等も行い、時には車庫の中で運転の練習をしたり、公道で運転したこともあつた。かかる雇用ないし使用関係からすれば、被告渋谷の被告車の運行は客観的外形的にみれば被告小幡の業務の執行の範囲内の行為と認められる。従つて被告渋谷が被告車の運転中に生じた第一項記載の事故にもとづく損害については、被告小幡は同被告の使用者として賠償の責に任ずべきである。

四、(損害)

(一)  亡李点金の得べかりし利益の喪失による損害<省略>

(二)  原告久枝の積極損害

原告久枝は本件事故にもとづき左記の金員を支出し同額の損失を受けた。

1治療費 一〇、〇〇〇円

2付添料 二、三一〇円

3葬式費用 六八五、九三〇円

4弁護士着手金 一〇〇、〇〇〇円

5興信所調査料 一七、八〇〇円

計 八一六、〇四〇円

(三)  慰藉料<以下省略>

第三、被告小幡の答弁

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、<省略>

三、同   第三項の事実は否認する。被告車は被告小幡の娘訴外小幡瑞枝の所有である。また被告渋谷は昭和三六年六月ころから昭和三七年一月ころまで被告小幡の内弟子であつたにすぎないもので本件事故当時は雇人でなかつたのはもちろん、ときどきデザインを教えて貰いに被告小幡のところへ来ていたに過ぎないものである。

四、同第四項は争う。

第四、被告渋谷の答弁<省略>

第五、被告らの抗弁

一、(被告小幡のみ)

仮に被告小幡が被告車の運行供用者であつたと認められるとしても本件事故は瑞枝が新宿区愛住町にある伊藤という有料駐車場に被告車を預けてあつたのを、被告渋谷が無断で持ち出し運行中に発生したものであり、右無断持ち出しにより被告小幡は運行供用者ではなくなつたというべきである。

二、<省略>

第六、右に対する原告らの答弁

一、抗弁第一項のうち、被告渋谷がその主張のように被告車を無断で運転したことは認めるが、これによつて被告小幡が被告車の運行供用者ではなくなつたとのことは争う。

二、<省略>

第七  証拠<省略>

理由

一、請求原因第一項の事実(事故の発生と李点金の死亡)は当事者間に争いがない。

二、被告渋谷の過失

<証拠>によると事故現場は車道巾員二〇米、歩車道の区別のある、コンクリートで舗装され、歩道上に街灯が約三〇米間隔についているため、夜間でも見とおしの良い道路であるが、事故当時は前日夕方からの引続く降雨で路面は完全に湿潤していたこと、しかるに被告渋谷は無免許であり特に上のような道路状況の悪いときは厳に自動車を運転することをつつしむべきであるのにこれを怠り、あえて被告車を運転し、時速約三〇粁の速度で現場にさしかかつたのであるが、被告車の右側を追い抜いて行つたセドリツク型乗用車に気をとられ、又車道の左側歩道寄りを走つていたため左側の歩道から人が出て来るのを警戒する余り右側方の注視を怠つた過失により、道路前方を右側から左側へ(被告車から見て)横断しようとしていた李点金をわずかに被告車の右前方約一三、六米の地点においてはじめて、発見し、直ちに左にハンドルを切りブレーキをかけたが、間にあわず冒頭認定のとおり被告車の右前部を同人に衝突させたことが認められる。

そうすると、被告渋谷はその過失によつて、李点金を死亡するに至らしめたものであるから、加害者として原告らの後記損害を賠償しなければならない。

三、被告小幡の責任

<証拠>によると、被告小幡静子(当時四四才)は銀座の小松ストアで服装デザイナーをなし自宅を仕事場とし約一八名を雇用して服装デザイン、縫製等の業を営んでいるものであり、また世帯主として娘の訴外小幡瑞枝(当時二〇才)と二人暮しであつたこと、瑞枝は学生であつて定収入もなく、従つてその生活全般は被告小幡に依存しており昭和三八年七月ころ自動車運転免許を受けて同年八月ころ被告車を一五万円位で買受けるについても、被告小幡の了解をえ、同被告から金を出して貰い、その後も被告車の税金や駐車場使用料などの支払いはその小遺でする外、随時被告小幡から金を出して貰つてしていたこと、被告車を運転するのは専ら瑞枝であり、瑞枝は被告車を車の運転練習や自己の通学のためにも使用したが、被告小幡が前記小松ストアに出勤するときや、他に外出するときに瑞枝が在宅していれば同人に運転させてしばしば被告車を使用していたことが認められる。<証拠>中、右認定に反する部分は信用しない。

右事実によれば被告車を所有する者が誰であつたかはともかく、成年に達したばかりで社会的にもいまだ経験浅く、経済的に独立もしていない瑞枝をその日常生活全般にわたつて監督指導する立場にあつた被告小幡は、被告車の管理や運用使用についても常に配慮指図し、かつこれをその必要に応じて使用していたと認めるのを相当とし、結局被告小幡は被告車を自己のために運行の用に供する者であつたということができる。

ところで、事故当時被告車を運転していた被告渋谷がこれについて被告小幡あるいは瑞枝に無断であつたことは当事者間に争いがないけれども、しかし、<証拠>によると、被告渋谷は昭和三六年春から暮にかけて被告小幡のところで住込の内弟子として服飾デザインの指導を受け、その後一旦他で働いていたものの、昭和三八年九月初め以来ふたたび被告小幡のところへ毎日のように出入りしデザインを習つていたものであり、事故当夜はたまたま近所の知人を訪問かたがた自動車運転の練習をしようと思い、被告車を預けてある訴外伊藤寛の経営する駐車場に至り前に瑞枝と一緒に駐車場へ来て洗車の手伝をしたこともあつて、訴外伊藤に顔を知られていたため、たやすく伊藤から鍵を借りることができたので、被告車を持ち出して知人宅に向いこれを運転中であつたことが認められる。

そうとすれば前認定の被告渋谷が被告小幡に無断で被告車を持ち出してこれを運転したことによつて、被告小幡の被告車に対して有する支配が排除されるに至つたとは到底いうことをいえないこと明かである。従つて被告小幡は被告車を自己のために運行の用に供する者として、被告渋谷が被告車の運行により惹起した冒頭認定の事故にもとづく後記損害を賠償しなければならない。

四、損害

(一)  李点金の得べかりし利益の喪失

<証拠>によると李点金は一九二一年二月生れの韓国人であつて昭和一九年以来日本に居住し、本来頑健であつて事故の一年一〇ケ月位前に胃潰瘍の手術を受け、一ケ月位入院したこともあつたが、その後はすつかり健康に復していたこと、そして宅地造成を主として一般土木事業を行う株式会社岩本組の代表取締役の地位にあり、昭和三七年一〇月から昭和三八年九月までの一年間に六〇万円の給与と一四万円の賞与を受けていたことが認められる。

右事実に第一〇回生命表上、日本人の同年令の男子の平均余命は二九・一〇年であることを合せ考えると、李点金は事故がなければ大体右余命年数程度生存し、そのうちあと二〇年間にわたり月額五万円の収入をあげられるべきところ、これを事故による死亡によつて失つたと認めることができる。

ところで李点金の前記収入を挙げるための生活費としては前掲証拠により認められる李点金は生前前記収入で自己と妻の原告久枝とその連れ子である原告博(当時一才)の生活を支えていたが家賃として月一万円を支出し、病弱の原告久枝の医療費に大分金がかかつたこともあつてその遺産としてはみるべきものは何もなかつたことなどから、平均月額一五、〇〇〇円程度あれば足りると推定される。

そうすると、毎月五万円から一五、〇〇〇円を控除した三五、〇〇〇円の純益が二〇年間にわたつてあり、これが二〇年の後に支払われるものとして、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して、事故当時の現価を求めると、四二〇万円となる。これが李点金の得べかりし利益の喪失の一時払額である。

ところで、相続は被相続人の本国法によるものである(法例第二五条)から、李点金の死亡による相続についてはその本国法である韓国民法を適用すべきところ、同法第一〇〇〇条第一〇〇三条、第一〇〇九条によると、被相続人たる男子に直系卑属がないときは直系尊属が被相続人の妻と共同相続し、女子の相続分は男子の二分の一であるが、被相続人の妻の相続分は男子の相続分と均分であると定められている。そして<証拠>によると、原告久枝は李点金と結婚する旨の届出を昭和三八年五月一八日婚姻挙行地の東京都三鷹市の市長になして受理され同人の妻となつたこと(法例第一三条第一項民法第七三九条)李点金には子供がなく、父親の訴外李在福は死亡し、母親の訴外南順岳が生存していることが認められるから李点金の相続人は南順岳と原告久枝であり、久枝の相続分は三分の二である。

従つて原告石橋久枝は李点金の得べかりし利益の喪失に対する損害賠償請求権の三分の二にあたる二八〇万円を相続によつて取得したものである。

(二)  原告久枝の積極損害

<証拠>によると、原告久枝に代つて訴外株式会社岩本組が左のような支出をしたことが認められる。

1李点金の治療費 一〇、〇〇〇円

2付添費 二、三一〇円

3葬式通知費 三、一〇〇円

4喪 章 一、〇〇〇円

5ローソク線香 五四〇円

6コツプ 九〇〇円

7喪服借賃 一二、〇〇〇円

8腕 章 六〇〇円

9葬儀社支払 一三一、九〇〇円

10寺院支払 一六五、〇〇〇円

11祭壇用テーブル代 二、二〇〇円

12ガソリン代 一九、一二〇円

13運転手支払 五、〇〇〇円

14人件費 九七、五〇〇円

15交通費 四、〇〇〇円

16心 付 二、〇〇〇円

17接待用酒食煙草菓子代 一〇四、八八〇円

18初七日法要費 一四、〇〇〇円

19初七日酒代 一、三八〇円

20生花代 一八、〇〇〇円

21雑 費 五二、六九〇円

22弁護士着手金 一〇〇、〇〇〇円

23興信所調査費 一七、八〇〇円

1、2の支出については、<証拠>によれば原告久枝は訴外会社に対し同額の債務を現に負担していることが認められこれは、本件事故による損害と認められる。

3ないし21の支出は<証拠>によれば、葬式に関連した費用であるが、右支出のうちには、生花代のように、親戚あるいは社員が支出する費用を立替えた分、あるいは喪服代のうちの一部のように原告久枝以外が着用した分でその者が負担すべき分、あるいは香典返しの費用のように事故と直接の因果関係がない分および雑費のようにその内容が明確でない分を含み、また葬式の規模の指図については原告久枝はあまり関与せず、訴外李点金の弟であり且つ訴外株式会社岩本組の専務である李正雨が、主として企画実行したもので、その点からいつて事故と直接関係なく、専ら株式会社岩本組の追悼の意から葬式の規模を大きくしてそのため支出した費用すなわち必ずしも原告久枝のための立替の意味を有しないものを含んでいることが認められ、またおよそ事故による死亡者のための葬式費用は、その死者をして通常と認めらるべきものに限り事故による損害として、加害者側の負担とすべきものと考えられるところ、前項で認定したように、李点金は生前株式会社岩本組の代表取締役で月収五万円であつたことと<証拠>により認められる同社の社員は一二、三人であつたが、同人の死亡後まもなく同社は解散するにいたつたこと、李点金は死亡時に個人の財産としてみるべきものは何もなかつたこと等を合せ考えると原告久枝が、李点金の葬式費用として株式会社岩本組から立替を受けた費用のうちで本件事故と相当因果関係にあり、従つて被告らに賠償を求めうる額は二〇万円を限度とすると解するのが相当である。

22、23の支出は<証拠>によれば、原告らの損害賠償を請求するにあたり支出したものであるが、23の興信所調査費については興信所に調査を依頼する必要があつたとの主張立証はないから、これを被告らの負担すべきものと認めることはできない。22については、交通事故による被害者か、加害者側に対し損害賠償の任意履行を期待できないときは通常弁護士に委任してその権利実現をはかるほかなく、これに要する弁護士費用も事故と相当因果関係にたつ範囲内で加害者の負担すべき損害と解すべきところ、事案の難易など諸般の事情を斟酌すれば、本件については一〇万円全額について被告らの負担すべき損害と認められるから、右着手金は本件事故による損失と認めて差支えない。

以上原告久枝が本件事故により受けた積極損害は計三一二、二一〇円である。

(三)  過失相殺

<証拠>によると、被害者の李点金は大雨の降つている午前零時ころ、交通量の多い甲州街道を横断するに際し、約四〇米はなれた信号機のある交差点脇の横断歩道を渡らず、しかもその表示する信号を無視し車の通行に注意を払わず、被告車の進んで来る方向に洋傘をさしかけて歩行していたことが認められ、右過失が本件事故の一因となつていると認められる。

右過失を損害額の算定に当つて考慮すると、原告らの損害中被告らに賠償させるべき額は原告久枝の(一)の得べかりし利益の喪失の損害について一九〇万円とするを相当と認める。原告久枝の(二)の積極損害については、本件事故の態様にかんがみ、過失相殺するにおよばないと考えられる。

(四)  慰藉料

<証拠>によると、原告らは李点金とともに平穏な生活を送つていたもので、右李点金と原告博とは実の親子同様の間柄で、正式に養子縁組をする予定であつたこと、事故後原告久枝(当時三三才)は身体が悪いうえ原告博が幼く手が放せないので働きに出られず、義弟の李正雨の援助でようやく生活をたてていることおよび原告らはいずれも本件事故により多大の精神的打撃を受けたことが認められ、なお前段認定の李点金の過失をもしんしやくすると、慰藉料として原告久枝は一〇〇万円、原告博は三〇万円の支払を受けるのが相当であると認められる。

ところで原告久枝が責任保険金五〇万円および被告渋谷から送金を受けた一〇万円をその慰藉料の一部に充当したことは、その自認するところであるから、これを控除すると残金は四〇万円となる。

三、そうすると原告らの本訴請求は、被告らに対して各自原告久枝は前項(二)ないし(四)の計二、六一三、二一〇円原告博は(四)の三〇万円および右各金員に対する被告らに対する訴状送達の日の後であること本件記録上明らかな昭和三九年八月二日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却する。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(吉岡進 岩井康倶(転補のため署名押印することができない)浅田潤一

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例